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早く隕石が降ってこないかな!

今日の気分は最悪だ

言いたいことをいってすっきりしてしまおうかと思ったが

やっぱりブログを新しくしたのだから

うまいこと気持ちの折り合いをつけながら書いていきたい

www3.nhk.or.jp

 

こんなニュースがあった

僕の第一印象はざまぁみろだ

僕の中で東京の印象というものはこんな感じだ

セカセカと働いて他人を思いやる気持ちを持っていない

それに対して自分には目一杯優しいのだ

 

老朽化が要因のひとつのように聞いた

経済学者の三橋さんが私は好きで

彼はよく経済とは経世済民であるということを説く

他の経済学者は数字がどう動くかが重要で

僕達の生活についてまるで考えていない

だけど彼は経済成長の必要性と僕達の生活に結びつけて話す

これが彼のやり方かもしれないが

そこらの経済学者よりとても信用できる

 

これが彼のブログで政治の動画でよく見る

ameblo.jp

ちょうど停電について書かれているようだ

僕の言いたいことを全部言ってくれていると思う

 

東京の奴らといって庇いたいんだけど

本当は日本中の奴らはルサンチマン丸出しなんだ

それでニートになってしまった僕が

「日本なんて滅びればいいのに」

こんなふうに言うとこんなことを言う奴がいる

自分以外の無関係な人が死んでもいいなんてひどいやつだ!

 

ひどいことをしているのは自分で

ニートの僕はいつも責められている気がする

景気が良くないのは働いていない奴がいるからだとか

 

すぐ人のせいにする奴らばかりのくせに

僕がちょっと「早く隕石が降ってこないかな!」って言うだけで

眼の色変えてひどいやつだ!と非難する

 

あ~やんなっちゃうな~

 

 

 俺の希望は共倒れ

無用の用

最近のブログの内容は呪いに満ちているきがする

本当は挨拶について言いたいことがあるけれど

他の話で風通しを良くしたい

一旦おいて心のゆとりを取り戻したい

 

やっぱりノーベル賞を取る人はいうことが違う

それに顔つきがやっぱりいい人に見える

www.huffingtonpost.jp

 

顔つきがその人の性格を表すとかいう言い方があるけれど

僕はその考え方に少しだけ同意する

怨嗟に満ちていたときの僕の顔はひどく怖かった

やっぱり馬鹿にされ方として幼い顔立ちだからってのがある

恨みに満ちていた時のように

感情みたいなのが顔に表れるという意味でそうかもなぁと思う

 

ホリエモンみたいなのを抜きにして

僕の中で安定した人生(成功しているのではなく)を歩む人は

皆優しい顔立ちをしている

ホリエモンとかひろゆきはひねくれた性格が顔によく出ている

人として信用出来ない顔立ちだ

 

話をしっかりとニュースに戻して

役に立つということについて考えたい

マザーテレサはこんなことを言った

この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。
誰からも自分は必要とされていないと感じることです。

僕たちはなんで生きているかというと

僕たちの存在が少なからず社会の役に立つと思っているからだ

役に立っていないと感じるようになると

僕たちはとても死にたくなる

 

でも、誰かに必要とされているとか役に立つとはどういったことか?

このニュース記事では大隈先生はこのようにおしゃった

私は「役に立つ」という言葉がとっても社会をだめにしていると思っています。数年後に事業化できることと同義語になっていることに問題がある。本当に役に立つことは10年後、あるいは100年後かもしれない。社会が将来を見据えて、科学を一つの文化として認めてくれるような社会にならないかなあと強く願っています。

ひどい言い方にすると金になるかどうかだと思う

役に立つという言葉は自分にとって役に立つという意味なのか?

他の人や社会にとって役に立つという意味なのだろうか?

 

役に立つからと小学校から英語教育やプログラミング教育をさせる

それは将来金になるからだろう

精神的な育みというのはどこにあるのだろうか

 

そもそも僕たちは自分の役に立つ以外に

なんで社会の役に立つ意味があるのだろうか

 

僕は最初に言ったマザーテレサの意味合いもある

やっぱり皆が豊かな生活をおくるためにも必要だろう

 

この役に立つっていうのが自分本位だったり

金に換算できるとかそういった考え方をやめてほしい

 

 

 

敬うべき人とそうでない人

できるだけ毒を吐かないように批判したいが無理だろう

せっかくブログを作りなおしたのに悲しい

 

目上の人にはなぜ敬意を示さないといけないのか

儒教ではとくに目上の人を敬えというのがある

だけれど福沢諭吉先生はそれを否定している

詳しくは書かないがなぜ孔子儒教を強く広めたかというと

中国の道徳観のなさが原因で共通意識としてあるのが

目上の人や年寄りを敬おうというのであった

 

これが現代日本に則しているかというと

私は絶対にそうではないと言いたい

特に社会や家族関係においてこの目上の人は敬えというのがある

でもこの好きではないが民主主義という共通の意識のある中で

儒教的な目上の人だから敬うというやり方を進めようとする

それは当然だが特に年上で目上の人ほど顕著だと思う

 

僕にとって家族とは互いに協力しあい

住みやすい環境を作っていくことが大事だと思っている

その中で儒教的なやり方というのは合わないだろうと思う

 

祖母と私は不仲な関係にある

それというのも私が神経虚弱のせいで家にいるせいが大きい

儒教的なやり方でいくと私は一番年下にあたり

家の中のヒエラルキーで一番下に当たる

 

諭吉先生が儒教というのを批判したのにもかかわらず

儒教のやり方を推し進める我が家では

私は上の命令に従わないといけないし

目上の人を敬わなければいけない

 

挨拶で私は家族と揉める

家族からすると挨拶は私の方からしないといけない。目下だからだ

だけど私は挨拶とは互いにしあうものになる

それは家族というのが互いの協力で成立させているからだ

 

私自身外から見たらニートであって親の世話を受けて生活している

なので親のいうことは素直に聞くこともあるが

挨拶のように聞けないこともある

なぜ素直に聞くことがあるかというと

家族というのは互いに協力して成立させるものだからだ

 

私が立ちゆかなくなって親の庇護になるのは当然だと考えている

日本は個人主義の国ではなくて家族主義の国だからだ

武田先生が言っていたが個人主義の場合

私という存在は家族の一人ではなく国家の一人にあたる

国家にいて私は生活をできないならば

国家が私を保証しないといけない

 

話を戻す

私にとって祖母は家族との協力をしない異分子になる

家族にとって私が異分子であるように

命令をしないでくれと僕がお願いをしても

祖母は家族で僕は孫だから命令をしていいと考える

 

僕にとって敬う人は敬うに値する行動をとっている人だけだ

父親と母親は僕にとって敬う人になるが

祖母は年をとっただけの邪魔な老人だ

 

間違えてほしくないのは

命令をしなくともお願いをしてくれれば私だって手伝う

それは家族というのが協力して成立させるものだから

助けを請われればもちろん家族として手伝う

だが私にとって祖母は尊敬する人でもないし

家族としての協力を成立させようとも考えていない

 

命令をしないでくれと言ったときの祖母の行動は

ただ謝るだけだった。いつも問題を有耶無耶にする

僕にとって祖母はもはや家族ではなくなっている

 

家族なので協力しあうことはないと思う

挨拶を例にとったので続けて話す

多分僕以外の家族にとって挨拶は僕からするものだと思っている

だけれども挨拶は互いにしあうものだ

別に同時にならなくとも

目が先にあったほうがすればいいと思っている

 

だが祖母と挨拶する場合今までは私が挨拶をする

だが祖母は私が挨拶をしなければ決して挨拶をしない

私が挨拶をしても祖母には聞こえなかった場合

祖母は私に対して絶対に挨拶をしない

互いに挨拶をしあう関係ならばこんなことは起きない

 

話はそれるが社会でも挨拶は重要な問題になると思う

こちらが挨拶をしているのに挨拶をしない人がいると思う

そういう人は極力近寄らないほうがよい

僕は家族同様、礼儀は互いにはらうものだと考えている

礼儀をはらわない人に礼儀をはらう必要がない

極力距離を取れるように努力をするべきだ

礼儀をはらない人に礼儀をはらうことは尊厳を傷つけることになる

 

祖母が私に協力しようとするならば

こちらも家族として仕方なく協力するが

祖母の様子を見るにこの考えから死ぬまで抜け出しそうにないので

私と祖母の関係はずっとこのままだろう

もしかすると家族ともだ

 

これは僕なりに導き出した家族とのつきあい方だ

だけど武田先生の言っていることなかなか合う部分が多いので

社会に出ても通用すると思っている


武田邦彦『現代のコペルニクス』#88「イヤな上司とのつきあい方」

 

それにしても意味がわからないのは

家族とは協力しあうものだと母親から教えられたのに

目上だから敬うべきだというのも母親がいうのだ

支離滅裂だ

叱られるうちが華

本当はいろいろ書く内容を決めてあって

いつかは書こう、書こうと考えて結局書かなかった

ウ・ジョーティカさんの「許すということ」はちょろっと読んだ

良い文章でよくよく読んで見なくてはいけない

意外と趣味に没頭してしまって結局書かなかった

 

それもあるけれど頭痛でちょっと目がチカチカしていた

どうも閃輝暗点とかいう頭痛に悩まされている

多分食後ちょっと時間が経ってパソコンをしているとそれになる

部屋が明るかったりしたせいだと思って

カーテンを閉めたりしながら対策をしていた

だけど夜にそれになって少し怖くなってしまった

パソコンをしなければそうならないんだけれど

パソコンがないと本当にすることがないから困る

 

「許すということ」を読んだせいではないんだけれど

できるだけ心に思ったことを口に出すようにしている

自分はそういった性質のひとはどうにも好きになれない

暑ければすぐに暑いとか言ったり

自分の何か気に喰わないことがあると

すぐ人の行動を変えさせようとしたりする

自分に自由がないので

どうしてもそういった人の言葉を受け流すことができない

 

僕は祖母と関係が良くなくて

やっぱりニートの上に神経衰弱で

祖母なりのありがたいお言葉を受ける

それが鬱陶しくてならない

そう感じてから話すことも話しかけることもなくなった

 

それでも私が話しかけられるのが嫌だと知っていながら

(言質をとったから間違いない)

祖母は僕に話しかけてくる

なんでこんな嫌がらせをするのか私には理解できない

 

今日嫌なことをできるだけ話したのだがこう言われた

祖母であると孫には命令していいそうだ

命令とは言わなかったが

例えば今日は雨が降っていて傘立てがなかったと

そしたら祖母は帰ってきて挨拶もせずに傘立てを出せという

これが辛抱たまらない

他には最近少し肌寒くて窓を閉めていたのだけれど

食事をして暑くなったので祖母は私に向かって窓を開けるように言う

僕よりも近くに座っていながら

そして僕が今さっき窓を開けたのにだ!

 

そんな祖母を私は許すことが本当にできないのだ

話しかけられるのが嫌だと知っていながら命令するのはいいらしい

それは自分が祖母で私が孫だからだというのだ

僕が神経衰弱ではなかったらこんな事態にはならなかったと思う

一緒に過ごしていて本当に息が詰まるというか…

 

ついさっきまでこの人とどう付き合えばいいのか分からないし

非常に許せない気持ちがあった

そう思うことで体調が悪くなったこともあるし

前にすごく進めていない感じで

自分がこういう立場にいるのはこいつのせいだとも思った

彼女と付き合うといつも心を乱され

何をいうのかと身構えたり

過去の出来事からこう言われるのじゃないかと思ったり

言動の一つ一つの全部が許せなかった


僕が向きあおうとするほどに辛い思いをした

今日は嫌だった命令みたいなのをやめてくれないかと言ったけれど

彼女はやめる雰囲気もないので僕は決めることにした

本当に何を話しかけられても無視しようと思った

 

彼女の過去は母から少し聞いたけれど

元からこういう性質なのか無理だと思った

彼女は死ぬ直前までそういったことがわからないままなんだと思った

 

よくこんなことをいう人がいる

年を経たらこれぐらいのこと分からないでどうすると

彼女もいったことのあるセリフなのだが

自身はそんなことを思いもしないのだろう

 

私はわからないことは一生わからないだろって立場だ

知らないことは別に知ろうとしなければ知らないままだ

それが本当によくわかって

無理なものは諦めようというのが最近の考え方だ

 

彼女にいくら言葉を話しかけても理解してくれないし

彼女自身も悪いと思って謝るだけだ

そうやって私を悪者にして自分は何も変わろうとしない

それが彼女の処世術だったんだろう

 

 

タイトルは別に叱るというと上の人が下のものにって感じだけど

イメージとしてはこんなのだと思う

 

 

 

許容

繊細な性格をしているんだって言いたいわけじゃない

生きてきてどうしても人の気になるところがある

僕はどちらかと言うとおおらかな方だと思うんだけれど

神経衰弱になってからか気持ちを貯めこむと病となって現れる

風邪を引いたり胃の調子が悪くなったりだとか

そういうことをしないためにいろいろやっているのだけれど

人の嫌なところとか気に入らないところをみて注意する奴が嫌い

これぐらい耐えてほしいって思うんだけれど耐えられずに僕に言う

僕はそれに耐えられない。いや、耐えられなくなった

 

こういった話は人を呪うような言い方なようなきがするんだけれど

やっぱ堪えきれなくて言っちゃう

人間関係に悩まなくていい最強の方法はひとりになることかなぁって

思うけれど、ひとりはひとりで辛いなぁとも思う

 

人間ってどうしても許せないところがあると思う

そういうのをいちいち気にしていたらやっていけないんだ

そういったことを許すのが人間関係だと最近気づいて

いくつか許そうと思うんだけれど

例えば祖母に何度言っても聞いてくれないこととか

これは諦めて許すことにした

 

気持ちはやっぱり許せそうにないときみたいなのが出てくる

もしかしたら多くの母親はこういう言動をするのかもしれない

恩着せがましい言い方っていうのか

私がやらなきゃ誰がやるのよみたいな言い方だ

そして怒りながらとか病気になりながら家事をやったりする

そのくせ私が怒りながらとか気持ちが抑えきれないで

ものに少しあたったりとか行動すると

それが嫌なのかそれはやめなさいみたいな言い方をする

 

人間ってのは矛盾しているような生き物だから

こういったこともあるんだろうけれど

それをそうとも気づかない言動不一致に苛立ってしかたない

 

人間ってのはある程度矛盾を持ったほうが健康的だと思う

矛盾がないように努めると私のように精神衰弱な状態になる

でもやっぱり私は許せないでいる

 

自分がそうやって行動しているのに他人は許さない

そうやって生きている方が辛そうなのに

実際に辛いのは私だ

許せない

 

 

こういったのを語るだけでは良くない

解決法みたいな本はしっているがまだ読んでいない

myanmarbuddhism.info

平凡さ

gigazine.net

特に書くことがない。むしろ何もない

GIGAZINE っていうニュースサイトをよく見ている

その中でライフスタイルに関するものを見つけたのでメモっておく

カナダで夫と3人の子どもと暮らすKrista O'Reilly Davi-Diguiさんは、学生時代に教育学を専攻するも、うつ病のために大学をドロップアウトせざるを得なくなりました。その後、栄養士の資格を取り、現在は「幸せな人生の教育者」として活動しています。Davi-Diguiさんは「世の中に常にある『もっともっと』『生産性のために睡眠を犠牲にしろ』『より大きく、よりよく』『急げ急げ急げ』というメッセージは私を破壊しました。人生というものがわからなくなり、不要のもののように感じ、何かを始めたりやり続けたりすることができなくなったのです。私たちの多くが、ハムスターの車輪から逃げ出して一息つきたいと感じています」と語っており、「What if All I Want is A Mediocre Life?」というブログの中で「素晴らしいものを求めて努力すれば、私には悲しみや疲労、枯渇が残ります。喜びがなくなってしまいます。私は私のままで十分ではないのでしょうか?」とつづっています。「私は学ぶことを好みますが、聡明ではありません。書くことが好きですが、だからといって有名作家だというわけではありません。私は平凡な人間です」というのがDavi-Diguiさんの言葉。

ハムスターの車輪のことをラットレースって表現したりする

馬の目の前に人参をぶら下げて走らせるアレだ

その人参は夢とか幸せとか成功とか

このニュースだと生産性、効率性、クリエイティブさだ

僕たちは足るを知る必要があるんじゃないかなぁって

このニュースでは平凡さに目を向けようと書いてある

 

平凡であるっていうのはいいことだって最近思うようになった

でも、凡庸ではいけないってことだ

 

それほど努力していない人ってわけじゃないけれど

特に問題なく高校行って大学を出て会社で働いて20年とかいう人が

「平凡がいいんだ」って言われても納得出来ない

ニュース記事だと大学をドロップアウトしたひとが

「平凡がいいんだ」って言うから説得力が生まれる

幸せを知るには不幸を知る必要があるとは言わないけれど…

 

www.youtube.com

 

凡庸さというのを知るには藤井先生の動画を見るのがいいと思う

これは政治的な内容が入っているから嫌な人は見ないほうがいい

特に橋下さんを応援している人はやめたほうがいい

 

平凡さを知るには自分を知る必要があるんじゃないかと

平凡さは他の人と変わらないじゃなくて

自分のなかではこれぐらいってことじゃないかなぁ…

夕方ニュース番組の特集は誰が得するの?

はてなの編集画面は白すぎて目が疲れちゃうな

アメブロは変なアバターがムカつくし

これの前は goo やってたから変えたいなぁって

リンクの貼り付けも楽だしかっこいいけど編集が大変だな

シーザーはなんか違かったしライブドアは違うブログがまたある

書き始めていきなり愚痴かよって思われるのでここらで切る

 

幾つか話したい事があったけどメモってないせいかわすれた

そうだ、「感動ポルノ」という使い勝手のいい言葉を覚えた

 

logmi.jp

最近噂の貧困JKもこのたぐいのものだと思う

障害者じゃないけれど少数のカテゴリの人がいて

その人は苦労しているんだけど素晴らしいんだみたいなノリ

ニュース番組で必死に貧困JKを庇っていてウザッってなった

映画に行ったのはお金をためてだろうとか

裏とりもせずに~かも知れないじゃないか論法で話していた

こんなのは実際に取材して見れば済む話だ

 

僕が人の話を聞くときに注意していることがある

 ニートなんだけどこの手の本で唯一読んだ本だと思う

話す内容が多すぎる気がする

今回の話ではソースはなに?ってことだ

 

 

なんで今日の今日記をつけようと思ったのかというと

ちょうど浅草サンバとかいうので盗撮が問題だってニュースがあった

女性の下半身ばかり映すのは問題だって記者が躍起になるあれだ

 

露出の高い服を着て尻振って踊ってるだけじゃ抜けねーよ

って僕なんかはそう思っちゃう

だけど、そういうのが好きな人がいて買う人がいるみたいだ

カメラを用意しておけば買ってくれる人がいるんじゃ

僕みたいに稼ぎのない人や少ない人は撮りにいくだろと

 

それより高い金で警備員を増やしたほうが減らせると思うけれど

開催者は実際に対策をしているかどうか知らないけれど
しているようには思えなかったな

 

それでいて警察を呼ぶわけでもないし

やめてくださいとお願いをするだけ

俺だったら金欲しいし撮ってるなと思う

 

例えば海で水着姿になってるのを知らない人に撮られた

こんな場合は嫌な気分になる

この水着っていうのはみんなに見せるために着てるのではなくて

海で泳いだりとか、彼氏に褒められたいだとかだと思う

 

でも今回のサンバは見せるために露出の高い服を着て踊っている

それでいて下半身を集中して取るのはやめてください

ダンサーは嫌な思いをしていますっていわれても

嫌だったら踊らなきゃいいだろとしか思えなかった

海水浴の水着とは違ってその姿で踊るのを見せたいんでしょ?

 

テレビ局は別にこの問題を解決しようとも思えない

カメラ小僧と同じで金になるから取材しているだけだ

警察を呼んで自体を積極的に解決しようという素振りもないし

私人逮捕を考えているような雰囲気もないし

ジャーナリズムを気取って正義面で糾弾して恥ずかしくないのかね

 

テレビ局としたらこの問題を解決されたら困るんだよ

取材できなくなるから

もしかしたら主催者もこうやってテレビ局が来てくれているから

解決しようとも思わないんじゃないのかなぁって考えた

 

感動ポルノとは違うけれど

こういった犯罪がありますよといって取材するやつはよく見る

昨日なんかは橋から川に飛び降りるのを取材していた

犯罪ポルノとかっていうのかな?

刑事もののドラマを見る感じで取材でもしてるんだろうね

 

テレビ番組で幾つか嫌いなテーマがあってそのうちのひとつだ

もうひとつは商品開発の話とか新人奮闘記とかだ

美味しいものがありますよーって言うほうがまだまし