無用の用
最近のブログの内容は呪いに満ちているきがする
本当は挨拶について言いたいことがあるけれど
他の話で風通しを良くしたい
一旦おいて心のゆとりを取り戻したい
やっぱりノーベル賞を取る人はいうことが違う
それに顔つきがやっぱりいい人に見える
顔つきがその人の性格を表すとかいう言い方があるけれど
僕はその考え方に少しだけ同意する
怨嗟に満ちていたときの僕の顔はひどく怖かった
やっぱり馬鹿にされ方として幼い顔立ちだからってのがある
恨みに満ちていた時のように
感情みたいなのが顔に表れるという意味でそうかもなぁと思う
ホリエモンみたいなのを抜きにして
僕の中で安定した人生(成功しているのではなく)を歩む人は
皆優しい顔立ちをしている
人として信用出来ない顔立ちだ
話をしっかりとニュースに戻して
役に立つということについて考えたい
マザーテレサはこんなことを言った
この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。
誰からも自分は必要とされていないと感じることです。
僕たちはなんで生きているかというと
僕たちの存在が少なからず社会の役に立つと思っているからだ
役に立っていないと感じるようになると
僕たちはとても死にたくなる
でも、誰かに必要とされているとか役に立つとはどういったことか?
このニュース記事では大隈先生はこのようにおしゃった
私は「役に立つ」という言葉がとっても社会をだめにしていると思っています。数年後に事業化できることと同義語になっていることに問題がある。本当に役に立つことは10年後、あるいは100年後かもしれない。社会が将来を見据えて、科学を一つの文化として認めてくれるような社会にならないかなあと強く願っています。
ひどい言い方にすると金になるかどうかだと思う
役に立つという言葉は自分にとって役に立つという意味なのか?
他の人や社会にとって役に立つという意味なのだろうか?
役に立つからと小学校から英語教育やプログラミング教育をさせる
それは将来金になるからだろう
精神的な育みというのはどこにあるのだろうか
そもそも僕たちは自分の役に立つ以外に
なんで社会の役に立つ意味があるのだろうか
僕は最初に言ったマザーテレサの意味合いもある
やっぱり皆が豊かな生活をおくるためにも必要だろう
この役に立つっていうのが自分本位だったり
金に換算できるとかそういった考え方をやめてほしい