わが心をもって他人の身を制すべからず

尖閣諸島沖で中国船が他の船と事故をおこしたようだ

僕はこのニュースを聞いて始まったのかと思った

尖閣諸島を実効支配するための軍事行動としてよく聞くものがある

漁船に乗った工作員尖閣諸島に上陸したのち

中国はここが中国の領土なのだからとその漁民の保護に向かうのだ

あとは軍をおいて実効支配完了というやりかただ

今回で事故にあった漁民が尖閣諸島を目指して泳げばこれができる

自分は事故にあって自衛隊が助けてくれなかったから上陸したのだと

警戒して近くにいたのだろうか

今回は自衛隊が助けたから良かったが本当に全員助けたのだろうか

 

 

 

そういった問題もあるが天皇の問題も気になる

天皇という呼称についてとやかくいう人がいたが

天皇陛下とかやると頭痛が痛いみたいな言い方になると聞いた

どこぞの評論家が年号+天皇という言い方をして問題になっている

相手の言い訳を聞く限りどう聞いても知らなかったとしか思えない

buzz-plus.com

もし知っていたなら普通はやろうとは思わないからだ

誰か質問のある人といって手を上げている人がいたとする

状況は講演会でも学校でもなんでもいいんだけど

ハゲの人が手をあげていたとする(いっつも悪いね)

じゃぁそこのハゲの人なんて普通は言わない

こいつは絶対に知らなかった

 

そんなのはどうでもよくてビデオメッセージが出る前に

天皇が生前退位について言っているとニュースに出たのが問題だ

しかもビデオメッセージでは生前退位については一言もない

ねずさんのひとりごと 天皇陛下のおことば

何人かこういった問題に詳しい人の意見を私は聞くようにしている

テレビのニュースや新聞を見ようとは思わない

そのうちの一人がこの人でほかは竹田恒泰氏や青山繁晴氏だ

竹田さんはなんか俗世に染まったイメージが最近ある

そこまで行って委員会で品を感じなくなってしまった

 

人付き合いでも同じだと思うのだがこの問題で大事なのは

天皇の大御心についてだと思う

陛下が生前退位をしたいと言ったわけではないのに

陛下はきっと生前退位がしたいのだと決めつけて行動している

陛下は僕達の安寧をいつも願っておられているのにもかかわらず

生前退位をしたいんだっていう決め付けっていうのは

陛下の願いや祈りをとても汚している

 

両親があなたを心配してという行動はかなり鬱陶しかったはずだ

ちょっと成長するとそれが懐かしむ人もいるけれど

これは独立した人間として接してくれていないという問題だが

 

人の心はわからないものでそれを断定するのは無理が出てくる

福沢諭吉先生の言う「わが心をもって他人の身を制すべからず」

と言うものだと思う

その人の心というのは自分の心が反映されてしまうのだ

ブーメランと呼ばれるものは全員に当てはまるものなのだ

 

べつに生前退位でなくとも摂政をおくというやり方でもいいはずだ

なのに生前退位としつこくいう様は政治的意図を感じる

大事なのは

象徴天皇の務めが常に途切れることなく安定的に続いていくこと

であって生前退位ではない

 

 

この人のブログはそれほど見ているというわけではないんだけれど

この記事についての動画をみて知った

ねずさんのひとりごと 明察功過

なぜ天皇が尊い存在でありがたいのか

それは僕達のことを祈ってくださっているからだ

その祈りがあるから僕たちは人としての尊厳が守られている

 

天の権利があなた達に与えられている

そんなこと言われても西洋的な思想なんてのは理解できない

僕達には天皇がいて祈ってくださっている。これで十分だ

 

無意識の意識


ステーブジョブズも行った「念仏」無意識になるには?武田鉄矢・今朝の三枚おろし

 

 

不安障害に向き合うときに意識しないといけないことがある

それは人混みに行った時に自分は緊張しないでいられるのか

そんなようなことだ

 

そもそも人であるまえに動物である私たちは警戒心を持つ

その警戒心っていうのは慣れないことをすることだったり

人混みに行くことだったり…

そういった警戒心がないとむしろ人として退化している

 

そういった警戒心みたいなのが過敏に反応している

それが不安障害と呼ばれるものじゃないかと自分は思っている

いくら心のなかでその不安を打ち消そうと思っても

これは僕達の魂のような無意識の精神だ

そんなものを僕たちは制御することはできない

 

だけどそれを鍛えて人混みであっても

体調を崩さないだろうかといった不安に意識に目を向けつつも

意図的にそういった意識に目を向けないようにしなければいけない

 

相反する動作を同時に行うようなことを

前までの自分はなんとなく出来ていたのだが今はできていない

 

そういった無意識におけるものを学んだのが

武田鉄矢の今朝の三枚おろしって言うラジオ番組だ

こうった本を知ったのでメモっておこうと思った

 

無意識と意識の制御というべきだろうか

それを鍛錬するのが日本武道と呼ばれるものらしい

武田氏は合気道を習っているのか合気道に関する話をよく聞く

 

自分はそんなことをやったことないので座禅を組んでいる

念仏も少し唱えて見ようかなぁと思った

念仏を唱えると他の人の声で再生される

matome.naver.jp

勝俣を例に取ればわかりやすいかもしれない

念仏も誰かよくわからない人が再生している

 

 

 

オリンピックでなかなか日本人が活躍しているようだ

ロシアの問題のせいでドーピングをみんな控えたんじゃないのか

そう思うくらい何か日本人が活躍しているように感じる

 

野々村議員についてはあまり話したくないのだが

彼が逮捕された年は議員からのお金の返還が増えたようだ

何かそういった効果があるような気がしてならない

素直な感情は否定されるものではない

体力がないせいか今年の夏は体調が悪くなってばかりだ

こないだは頭痛で大変な思いをした

それはさておき、イチロー選手が3000本安打達成した

3000という数字は覚えているんだけれど

どういった内容を達成したのか正直よくわかっていない

 

僕が問題にしたいのは前回の日記の補足でもあるのだが

alive-ghost.hatenablog.com

 

こういった時に見る言葉が

「日本人が活躍した→日本人の俺はすごい」

と言ったたぐいのものなのだ

 

それは前回いったように共同体意識というのがそうさせると思う

日本人が活躍したらそれはもちろん嬉しい

外人がそれを達成したとしても僕はそれほど共感できない

やっぱり日本人であるイチローが達成したからだ

 

だけれども外国人である場合でも共感できることはある

苦難を克服したとか偉人が成功までの道のりとかだ

おなじ人間として辛さや苦しみを克服した

こういったことは僕達もとても共感するはずだ

 

それで僕が補足したいことはここではなくて

「日本人が活躍した→日本人の俺はすごい」

この思考自体はあまり良いものではないということだ

一言で例えるなら金持ちのドラ息子

僕達の嫉妬は抜きにして親の七光の輩は好きになれないはずだ

 

これ以外にも東大の学生とかもこれにあたる

東大に合格するのは確かに難しくてそれなりの苦労もあったろう

だけどそれだけで何かしたということはない

すごいのは彼らの先輩たちであって東京大学という名前だ

でも多くの人たちはそんな人に頭を下げている

 

もう一度付け加えておくと同級生に東大に合格した人がいたら喜ぶ

これ自体は別に何もやましいことはない

だけれど東大に合格したといって威張り散らしていたら

僕たちは嫌な思いをするはずだ

僕達の感情は僕達のものであって他人に非難されるものではない

「仲間が活躍した→嬉しい」これ自体は否定されるものではない

 

 

昨日お宝鑑定団で山田真山 - Google 検索なる人物の歴史をみた

僕の記憶ではこんな人物であった

 

明治維新のせいで貴族制が廃止された

真山は父が貴族かなんかであったため一家は島に移住させられた

その地で父はマラリアに罹り死亡した

母を守るため真山は炭鉱かなにかで働き始める

そこで手先が器用であるため東京で大工仕事でもしないかと誘われる

真山は東京へ行き仕事をするのだが柱に人面を彫って仕事を首になる

浮浪者をしながらなんとか金をためて芸術大学へ入る

 

作品は故郷の沖縄のものが幾つかある

そのためか1940年ごろ沖縄に移住を決意するのだが

皆さん知っての通り1945年には本土決戦がある

 

長崎や広島に記念碑があるのだが沖縄にはそれがない

真山は私財をなげうって作るのだが完成を目にすることなく死去

 

残した功績を考えると偉大な人物なのだが

彼は幸せだったのだろうか

ちょっと失敗したくらいで挫けてはいられないと思った

 

 

 

 

 

 

共同体に属するという意識

「日本人が活躍する→日本人の俺はすごい」

こういう思考をしてこれをやたら否定したがるわけがわかった

俺は「日本人が活躍する→それに恥じぬ行動をしよう」こうなる。

頑張ろうという原動力になるときがある

 

彼の人たちはそう思ってしまうと

俺と同じようにニートもしくは自分に自信がない

そういった事例を聞くと陰鬱とした気分になる

それを否定したいがために、自分の価値を下げないために

彼の人達は皆はそう思っているに違いないと考え

それを否定したがるんじゃないかと

 

同郷のものや同級生とか共同体がある

自分の属している共同体の仲間が活躍したらそりゃ嬉しい

共同体への帰属という意識が私達を嬉しくさせると思う

マズローの欲求段階のなんちゃらだと思う

 

 

最近の男性は自信がないみたいな言説を私は聞く

かなりざっくりと言うか自分の考えはこうだ

自分自身どうしても自信というのが持てない

 

やっぱり男女間の意識というのが大きいと思う

男性っていうのは馬鹿なことしかしないとか

男女の差別があるから女性は活躍できないんだとか

そんなこと聞かされたら自信なんてのは持てない

 

こういった言葉はひどく抽象的だ

僕の中での呪いの言葉のうちのひとつだ

怨望といっていいのかもしれない

人の足を引っ張るだけでなんの益もない

 

どういった時に差別されたのか具体的な事例をあげて

そうなったらみんなで注意しようとすればいいだけだ

だけれども仲間かも知れない人を敵にしている

 

本来協力してくれるかもしれない人も協力しにくくなっている

これは自分がニートのためもあるけれど

やっぱり誰かに助けてもらわないと僕は復帰できない

だからこういった呪いの言葉を使ってはいけない

 

自分は好きな本があって「学問のすゝめ」がすきだ

人としての行動の仕方というのがここに書かれてある

やっぱり諭吉はすごい

これに出てくるのが怨望だ

ameblo.jp

 

これが一番分かりやすかったらリンクとしてのせる

「日本人が活躍する→日本人の俺はすごい」

これは怨望の言葉だと思う。

俺みたいにこう思う人もいる

「日本人が活躍する→それに恥じぬ行動をしよう」

でも最初の言葉は俺みたいに考える人の足を引っ張るだけだ

 

最近は情報をいかに遮断するかが課題になってきている

ある程度反論することはできるけれど

いちいち考えるのも面倒くさい

 

 

和風総本家みたいな日本を持ち上げる番組が最近多い

そういったのは何回も見ると気持ち悪くなる

お前らどんだけ自信ないんだよって

 

でもやっぱり今までの教育のせいか

共同体に属するという意識が皆低かったんだと思う

日本人の良さはやっぱり仲間意識だと思う

 

ここで日本人の良さとか言うと騒ぐ人もいるだろうが

やっぱり男女は違うものだし国柄も違う

違いを意識して互いに良い所を認め合うべきだ

矜持

新しくブログ作ったから面白がってるので日記をつけている

幾つか話したい話題はあったけど忘れた

 

 

一つはロシアのドーピング問題についてだ

あれはどうにも国主導でやっている気がしてならない

選手たちが少し可哀想に思った

選手たちもわかっていたはずだなんて言い方もあるけれど

どうにもその言葉を信用出来ない

 

理由は二つだ

ドーピングの反応って風邪薬にでも出たりすること

去年はOKだったのが今年はダメになるとかそういうのがある

 

他には尿を選手が保管していたとかいうのがある

(選手自身が尿を長期間にわたって保存するのは変だけど)

知ってか知らずかは問題あるけれど

こういったら問題ないと思う

 

ドーピングっていうのは風邪薬とかにも反応してしまう

だから定期的にとっておきたい

だから一回尿を提出してくれと

 

ドーピング薬は大丈夫な薬だからっていう脱法ハーブのノリ

プロテインとかはドーピングじゃなかった気がする

やっぱり人よりより良い成績を求めるために

そういったのを飲むのを僕は否定出来ない

 

 

もう一つがいま世間を騒がせている障害者施設の話だ

職員を結束バンドで拘束したっていうのがおかしい

なんで抵抗せず4,5人を拘束できるのかわからない

 

あとやっぱり自分が精神疾患にあるためか同情的になる

でも他の人とは違うと思う

 

外側から鍵のかかる部屋で拘束されて寝るベットがあるところ

あんなところで生活したくない

マジで殺してくれと俺は思ってしまった

今でもできるだけ考えないようにしているけれど

死にたい気持ちっていうのがやっぱりある

 

僕は最初は胃の病気だった

胃潰瘍かもしれないからと胃カメラを飲ませられた。死ぬかと思った

最悪なことになんともなかった

精神的なことが原因だと言われて精神病院に今通っている

ご飯を満足に食べられないっていうだけで死にたくなった

 

たったこれだけのことで辛いとか言っている

詳しく言うともっといろいろあるんだけれど

思い出したくないし長くなるから省く

 

自分の想像だけど大した給料ももらえずにそんなのの世話をする

俺はやっぱ殺しあげるのが人情じゃないかとか思っちゃう

いつかは良くなるはずだって言ってもう長いことニートしている

3年を越したあたりから数えなくなった

 

昨日の日記から人生のわかりづらさというのを理解はしてるつもりだ

でもやっぱり悲観的になってしまう

 

 

ニコニコ動画で政治を見ているとたまにこんな類のコメントが有る

日本人が活躍する→日本人の俺はすごい

 

話は変わるけれどブーメランっていう言葉がある

このブーメランっていうのは誰にも当てはまってしまうものだ

自分の話すことっていうのは自分の思考から生まれてくる

多分何が言いたいかわかった

 

同じ地域のひとや同級生が活躍していると嬉しく思う

そういったことが彼の人たちは許せないのだろうか?

 

僕は責任を感じて身が引き締まる思いをする

彼らのように頑張って活躍しているのだから

日本人や地域の同級生としてそれに恥じぬ行動をしようと

そして死にたくなるウルトラソウッ ハイッ!

 

こういう人たちは何に自信をもって日々生きているのかわからない

TV東京でいまヤっさんという小説が原作?のドラマがやっている

その番組ではホームレスでも人としての矜持は失うなとよく言う

自分も実感しているのだが

何もないからこそ矜持というのを失ってはいけない

 

今の世の中にこそこの言葉を思い出したほうがいいと思う

僕たちは一人の人間としてどう生きるべきなのか

それを考えるときにどうしても国家を意識せざるを得ない

 

自分一人のためにはそれをしたほうが得だが

みんなが生活していることを考えるとやめるべきではないか

この感覚っていうのが少ない気がする

それというのも愛国心っていうのが少しもないからじゃないかなぁと

 

だから僕は愛国心っていうのを少なからず持とうと思っている

たしか三島由紀夫が言うには愛国心はいらないと

何があればいいのかと言うと

「やまとごころ」だと

この感覚はまだわからない

 

いつ日記を終えようかと思ってるけどなかなか切れない

やまとごころっていうのは平安時代とかそこら辺の言葉らしい

男どもが中国文化に毒されて漢字がどうのこうのいってたとき

女性がこの言葉を使ったのだ

 

男女のあれこれと自信についても言いたいことがある

それは長くなるのがわかるから今日はこれでやめる

あまり呪いの言葉は吐いていないと思う…

呪いの言葉についてもしっかりと考えておきたい

人生いろいろ

自分は結構テレビを見るようにしている

パソコンばかりで目が疲れやすくなっていて

できるだけディスプレイを見ないようにしている

好きなテレビ番組がお宝鑑定団と劇的ビフォーアフターとかだ

色々見ているけれどテレビ東京が一番面白い

 

昨日のテレ東で額縁を作っている人が根付を持ってテレビに出てきた

出演した人の奥さんの趣味が絵を描くことらしいので一緒にやろうと思ったらしい

でもどうにも上手く描けない。そんな絵を見て悩んでいたらしい

そんなとき奥さんが一言こんなことを言う

「どんな絵もいい額縁に飾れがよく見える」と…。まぁそうだけどさ

そこで旦那は何を思ったのか会社をやめる

額縁を作る職業訓練学校にいって職人になってた

3ヶ月ほどヨーロッパに旅行に行き色々な額縁を見たそうだ

持ってきたお宝が高かったら売って奥さんとまた一緒にヨーロッパに行きたいと語っていた

 

インターネットだとニートだと大変なことになるんだ!

そんな通説みたいなのを聞く

だけどこういった番組を通じて人の人生の一面をみると

そうでもないんじゃないのかなぁという気分になる

もちろん色々な苦悩があったことだろう

 

そういった通説をいう人はあまり人生経験が豊富じゃないと思うのだ

僕にはこう聞こえる

 

自分は毎日辛い思いをして働いているのにニートっていうのは何もしていない

ニートっていうのは今まで努力もしてこないからそうなんだ

自分は努力してきたから働くことができている偉い人物なのだと

 

そういった怨望のようなものがあらゆるところに巻かれている

そういうのが僕の言う呪いの言葉というものなのだ

耐性がないとすぐ飲まれる(ヤミノマ!)

そういったものから出来る限り距離をおいて自身を見つめなおそうと

 

 

他には月曜日のテレビ東京でなぜそこに日本人がという番組があった

どこかのアフリカの国で無償で義足をつくっている人がいた

その人は女性でこんなストーリーはこんなのだった

 

26、7の頃毎日の仕事に飽きてきていた

そんなとき本で語学留学を見る

その人はそれにいきなり飛びついた。僕にはまるで考えられない

そこで旦那さんを見つけて日本に帰ってくる

病気のせいで旦那さんは義足で生活していた

日本では義足というのが簡単に作れるのだが彼の国では高価なものらしい

この人はか旦那の義足をつくってもらった会社に入社する

5年ほど訓練した後旦那の故郷へいって義足を作っていると

 

突っ込みどころが多いんだけれど彼女の人生はそれなのだ

僕から見たら案外上手くいっている

人生ってそんなものなのかなぁって

 

 

関係ないけれどお宝鑑定団でレンブラントのデッサン絵を持ってきた人がいた

その人は騙されやすい人らしく

秋葉原とかにある絵葉書配って店の中に入れるアレに2回ほど引っかかったらしい

そことは違うけど懲りずに出品した絵を100万円で買った

だけどその絵がきっかけで今の奥さんと出会っている

は?って感じなんだけど、そういうもんなのかなぁと

ちなみのその絵の価格は29万円でした。やっぱり騙されていた

でも結婚して子供も三人いるんじゃ…

ブログを始める

私は少し前まで違うところでブログをやっていた

でも内容が呪いのような形でそれを辞めたかったのだ

心機一転したかったのがこのブログだ

 

だからニックネームを「生きた地縛霊」

そろそろ地縛霊を辞めて引きこもりになりたいなぁと

 

 

書こうと思ったけれど今書いてみると特に書きたい内容がない

ブログの内容は政治的なことが少し多いと思う

ニュースの内容の感想が主なものだと思う

 

私は俗にいうネトウヨだと思う

自身がネトウヨだとは思わないのだが

左寄りの人から見るとネトウヨに見えるらしく

仕方ないからネトウヨを名乗ることにしている

 

なんで政治の内容に関心があるかと言われると自信がないからだ

自信をつけるために愛国心というのがとても有効だ

世の多くの人がなぜ愛国心もなしに自分に自信が持てるのか謎だ

 

国の成り立ちには歴史があって多くの人が関わっている

どこぞの偉人の言葉や考えなんてのは結局一人にすぎない

 

 

自分は精神疾患に罹っているので

政治の他にメンタルな内容も多くなると思う

不安障害と予期不安というのがどうも強い

外に行くのにとても苦労するので

そういった点も地縛霊のように感じる

安心できる場所からなかなか動くことが出来ない

 

 

人付き合いはあまり得意じゃないので

そういうのはあまりしたくない

自分の言いたいことをチョロっと書いて終わらせようと思う

そしてできるだけ呪いのことばにならないように言動に気をつけたい

 

マザーテレサがこんなことを言っていた

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

 言葉に気をつけて見ようかなぁということだ