素直な感情は否定されるものではない
体力がないせいか今年の夏は体調が悪くなってばかりだ
こないだは頭痛で大変な思いをした
3000という数字は覚えているんだけれど
どういった内容を達成したのか正直よくわかっていない
僕が問題にしたいのは前回の日記の補足でもあるのだが
こういった時に見る言葉が
「日本人が活躍した→日本人の俺はすごい」
と言ったたぐいのものなのだ
それは前回いったように共同体意識というのがそうさせると思う
日本人が活躍したらそれはもちろん嬉しい
外人がそれを達成したとしても僕はそれほど共感できない
やっぱり日本人であるイチローが達成したからだ
だけれども外国人である場合でも共感できることはある
苦難を克服したとか偉人が成功までの道のりとかだ
おなじ人間として辛さや苦しみを克服した
こういったことは僕達もとても共感するはずだ
それで僕が補足したいことはここではなくて
「日本人が活躍した→日本人の俺はすごい」
この思考自体はあまり良いものではないということだ
一言で例えるなら金持ちのドラ息子だ
僕達の嫉妬は抜きにして親の七光の輩は好きになれないはずだ
これ以外にも東大の学生とかもこれにあたる
東大に合格するのは確かに難しくてそれなりの苦労もあったろう
だけどそれだけで何かしたということはない
すごいのは彼らの先輩たちであって東京大学という名前だ
でも多くの人たちはそんな人に頭を下げている
もう一度付け加えておくと同級生に東大に合格した人がいたら喜ぶ
これ自体は別に何もやましいことはない
だけれど東大に合格したといって威張り散らしていたら
僕たちは嫌な思いをするはずだ
僕達の感情は僕達のものであって他人に非難されるものではない
「仲間が活躍した→嬉しい」これ自体は否定されるものではない
昨日お宝鑑定団で山田真山 - Google 検索なる人物の歴史をみた
僕の記憶ではこんな人物であった
明治維新のせいで貴族制が廃止された
真山は父が貴族かなんかであったため一家は島に移住させられた
その地で父はマラリアに罹り死亡した
母を守るため真山は炭鉱かなにかで働き始める
そこで手先が器用であるため東京で大工仕事でもしないかと誘われる
真山は東京へ行き仕事をするのだが柱に人面を彫って仕事を首になる
浮浪者をしながらなんとか金をためて芸術大学へ入る
作品は故郷の沖縄のものが幾つかある
そのためか1940年ごろ沖縄に移住を決意するのだが
皆さん知っての通り1945年には本土決戦がある
長崎や広島に記念碑があるのだが沖縄にはそれがない
真山は私財をなげうって作るのだが完成を目にすることなく死去
残した功績を考えると偉大な人物なのだが
彼は幸せだったのだろうか
ちょっと失敗したくらいで挫けてはいられないと思った