夢なんて

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なかなか面白かった。ネタバレあり

女房が心臓病で金が必要だったから密漁したんだって言った時

「ありきたりな身の上話はそれだけか」

そういったのが面白かった

自分の境遇について大したほどじゃないって言われるのは

辛い時に言われるとカチンと来るけれど

冷静になってくるとまぁそんなものかと考えるようになる

不幸にいる時って自分はなんて世界一不幸なんだろうとかって思う

 

密漁っていうのは昨日の日記のように人としての値打ちを下げる

自分は辛くてそれぐらいしかたないんだって正当化する

あのみみっちい考えが嫌いでならない

今回は女房が死にそうってことが重大のように感じるけれど

他の小さなことでも結構他の人はそれをやる

お前だってやってるはずだって言うかもしれないけれど

不思議と自分はしていないって根拠の無い自信を持っている

昔の俺は自分を出すことっていうのに忌避感があったからだ

意外とそういうこと言われるとぶん殴りたくなってくる

 

自分は辛いのにホームレスは気楽そうでいいとか

他には自分の家は金がなかったから大学を出られなかったとか

東京に住んでいないからいい仕事をしていないんだとか

ニートは気楽そうでいいとか

自分は辛いのに他人は辛くないんだっていうこれが気に入らない

根拠がまるでないし奨学金貰えば大学だって出られる

東京に住んでなかったら東京に出てくればいいだろうと

 

生きていくうえで多少の嘘くらいは仕方ないと思っている

頭使って考えれば多少あくどくてもできるはずだ

僕にとってはそれらの言葉、呪いの言葉と言っていいと思う

それは努力したくないがための言い訳に過ぎない

 

その言い訳で自分を守れているならいいんだけれど

それを他人を非難するために使ってほしくない限りだ

言い訳それ自体は自分を守れるからできるだけ使ったほうがいい

自分を守れるのは自分だけしかいない

 

 

 

昨日の貧困JKっていうのもそのたぐいのものだと思っている

自分が貧困であるほうが楽なのだ

生活保護をもらって暮らしを楽にしたいとか

自分がアルバイトをして家庭の足しを作るとか

夢があるからそれはできないんだとかいって言い訳をするのだ

僕から見たら夢であると公言したデザイナーというのは

それほどなりたいものでもないと思う

 

専門学校に通わないとデザイナーになれないと思っている点だったり

デザイナーになりたいんだけれど貧乏だからできないんだ

そういってデザイナーになれなかった時の自分を守っているのだ

 

実はこういうことが言いたくて昨日のことを言い出したのではない

むしろ彼女にとっては希望になる話かもしれない

 

夢と言うのは何故か職業となっている

夢なんてのはなりたい自分になるなんてことではなくてもいいはずだ

孫悟空のように舞空術を使ってかめはめ波をだすでもいいはずだ

何故か僕達の夢というのは職業になっている

夢を叶えた僕たちは一体どうやって生きているんだろうか?

決して夢はかなわないからいいと言っているわけではない

僕たちは生活をしていて仕事というのはその一部でしかないはずだ

 

仕事の他に家庭があったり趣味があったりする

僕たちは仕事を第一義として考えてそれ以外のことを

とるに足らないことのように考えてはいないだろうか?

そもそも小さいころに見る夢なんてのは孫悟空のようなものだ

僕達の人生は80年位もある。活動できる時期は限られるが

高校生のいう夢なんてのは大したものじゃない

大学生だってもしかしたら40になってもそうかもしれない

 

論語にこんなのがある

私は十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持って、四十になってあれこれ迷わず、
五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばが素直に聞かれ、
七十になると思うままに振舞ってそれでも道を外れないようになった。

50にならずに天命も知らないのに夢がどうこうなんてのはおかしい

子供がほしいおもちゃについてあれこれ言ってるのと変わらんだろう

メディアが夢をかなえるのは素晴らしいとか

就職活動で聞く自己実現なてのに騙されてしまっているんだ

 

ここまでが前置きで僕は紹介したい人物がいる

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カーネルおじさん

日本が一番好きのところだけを抜粋する

新しいハイウエーの建設により車の流れが変って維持できなくなった店を手放し、負債を支払ったカーネルの手元にはいくらも残りませんでした。フライドチキンの調理法だけが唯一の財産。この時、65才。しかし、不屈のカーネルは、それを教える代わりに売れたチキン1羽につき5セントを受けるというFCビジネスを始めます。車で各地を回る強行軍ながらビジネスは成功。73才の時にはチェーンは600店を超えていました。ここで権利を譲渡し、その後は、自分の調理法が正しく行われ美味しいフライドチキンがきちんと提供されているか、各地の店舗をみて回ります。その旅は世界各地に及び、年間数十万キロにまでなりました。日本には、1972年、78年、80年と3回来日しました。数々の慈善活動をはさみながら意欲的に店舗を回ったカーネルは、いつも「日本のKFCが一番気に入っている」と言うのでした。「私の考えていた通 りのやり方を守り、理想のかたちを受け継いでくれている」というのがその理由。オリジナルチキン生みの親が太鼓判を押した日本のKFC。その厚い信頼に応えているか、私たちはいつも自分に問い続けています。

30歳の時に彼は独立しようと決意して

彼の夢が実現したとかそう思ったのは73才の時だと思う

しかも学歴は小学生とかそんなレベルだ

僕達のいう夢なんてのは大したものじゃない